2013年度の定例会報告はこちら。
日時:平成27年3月18日(水)19時~
場所:大阪凌霜クラブ 本館ホール
3月は、読売テレビのアナウンサーは脇浜紀子氏をお迎えして、「続・テレビ局がつぶれる日」と題して講演を行って頂きました。
最近のテレビの流れは
① 表現方法の高度化。
② 東京一極集中。地方の話題よりも東京の話題が世相を支配。地方創生が叫ばれますが、相変わらず、お台場、六本木等、東京の話題がテレビをにぎわせます。
③ デジタル化。鮮明な画面になりましたが、圧縮して情報を送るので、問題点も出てきました。
④ テレビ局は、映画出資で儲けを確保しようとしています。映画産業への出資での儲けをはかろうとしています。
最近のテレビの話題は
① アナログ放送の時は、時計が現れ、秒針の動きと時報が一緒だったが、地デジ化で伝送の遅れが生じ、時計の秒針の動きとずれるので、時計の時報がなくなったとのこと。
② テレビの世界は視聴率が全て。読売テレビの野球放送と言えば長らく巨人戦。だか、2千年代になって視聴率10%をとるのがやっと。
③ 朝のテレビでは、日刊紙各紙の新聞切抜き記事紹介。この時活躍するのがアイロン。新聞の細かいしわをのばすために大活躍。
④ ネット時代を迎えて、テレビは斜陽と言われても、アメリカのテレビ局と日本のテレビ局では規模が違う。アメリカは、日本のテレビ局の10倍の広告費、10倍のギャラ。スーパーボールは30秒間のCМで4億5千万円。
等々、つきない話題を、わかり易く、具台的に語って頂きました。 パソコンとプロジェクターを使い、40名を超える出席者に最近のテレビの状況と問題点を語りかけた講演会でした。 (文責、瀬野鋼太郎)
参加者合計43名
日時:平成27年2月18日(水)19時~
場所:大阪凌霜クラブ 本館ホール
今月は羽田ゆづる氏をお迎えして、「囲碁とパンデミック」と題して講演を行って頂きました。先生は大阪市立大学医学部をご卒業された後、独立して羽田内科を開業されておりますが、ご専門が感染症に関わる学術研究であり、著書もパンデミックに関するものを執筆されております。
今回はそのパンデミックに関わる裏話を中心に、タミフルの有効性について持論を展開されました。とりわけ、メディアによる間違った致死率等により、当時異常なまでの風評が広がり、世間の不安を煽った点は大変問題であると指摘されております。感染に関わる正しい認識とその対応、感染後の正しい対応をしっかりと伝達すべきであったと主張されております。医療には門外漢の我々にとって、正に「目から鱗」のお話に出席者一同、驚いた次第であります。
また、趣味の囲碁については、現在アマ八段格の腕前であり、これまでの中で最高の棋譜を提示され、囲碁を趣味にされている方々に配布されました。 楽しい囲碁のお話と、感染症に関わるお話等、大変有意義な講演を頂きました。羽田先生に心より感謝申し上げます。 (文責、武田之通)
日時:平成27年1月20日(火)18時~
場所:大阪凌霜クラブ 本館ホール
恒例の新年交歓会が出席者総勢52名にて催されました。
来賓は大学から福田学長、内田副学長、佐伯学長補佐、中野下社会連携課長、同窓会組織からは、田中学友会会長、高﨑凌霜会理事長、一木凌霜会常務理事にお越し頂きました。
武田事務局長の開会宣言に始まり、当クラブの江崎理事長より新年交歓会ご参加へのお礼がありました。 続いて、福田学長、田中学友会会長の挨拶が続き、高﨑凌霜会理事長の乾杯の音頭で始まりました。
今年は、神戸大学交響楽団・響友会有志によるモーツアルトの弦楽四重奏曲「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」の演奏が華やかないろどりをそえました。静かな雰囲気で名曲を聴くのが本来のところですが、お酒を酌み交わしながら、名刺交換しながらワイワイやりながら聴きました。それでもモーツアルトの有名な曲であり、楽章が終わると拍手がわき、新年の交歓の場になりました。
途中、松井世話役代表の「若手の会」の披露、国会休会中の山田賢司衆議院議員の挨拶と続きましたが、何と言っても今年は阪神タイガース80周年、坂井オーナーを囲む輪が拡がりました。
瞬く間に時間も過ぎ、小野運営委員長の中締めの言葉となり、新年交歓会もお開きになりました。
(S46年営 瀬野鋼太郎記)
参加者合計52名
恒例の忘年会が、凌霜会大阪支部との共催で開催されました。“若手歓迎会”も兼ねた忘年会として定着してきました。
出席者49名中、平成卒業の「若手の会」メンバーの出席も27名。大いに若手のメールを中心とする連絡網に負うところが大きいものです。
武田事務局長の開会宣言、西浦理事長の挨拶、凌霜会一木事務局長の祝辞に続き、南川副理事長の乾杯の音頭で始まった。
しばらく歓談が続き、「若手の会」メンバーの落合さん・谷口さん・大川さん3名による、「神戸大学の今と重大ニュース」が映し出された。
過日、「若手の会」の松井代表と大川さんが大学を訪問。昔の食堂は法科大学院の自習棟になり、正門の横に新しくアカデミア館が建ち、工学部と国際文化部にはコンビニが出来た。六甲台も様変わり。
「重大ニュース」の1位はアメフト・レイバンズが京大に8年振りに勝利したこと。又、女子タッチフットボールが武庫川女子大勝ち関西リーグ優勝。そして次期学長に医学部の武田教授が決定したことでした。
続いて、「コールフェリーチェ(丸紅の混声合唱団・うち男性3名が凌霜会)」男女4名のクリスマス・ソングも忘年会に花を添えた。
しばし歓談の後、「若手の会」松井代表の突撃インタビュー。「定例会に1番出席された方」「久しぶりにクラブに来られた方」等々が「①今年の重大ニュース、②今年の一押しの本、③年初の目標とその成果?」もいろんな方が面白おかしく語ってくれました。
最後の出し物は、「若手の会」の堀口さん司会の“勝抜きジャンケン大会”。勝ち抜き上位4名に景品が当たる。ジャンケンするのは、2年前の「ミス神大」の方。 あっという間に時間も過ぎ、小野運営委員長の閉めのことばとなりました。
中締め後も、「若手の会」は飲み足りないのか、久しぶりの友達も多く旧交を温めた。おひらきになったのは午後9時頃となりました。
(文責:支配人 瀬野 鋼太郎・S46年経営)
日時 2014.11.20(木)18時~
大阪凌霜クラブ本館ホール
ボジョレーヌーボー解禁日と言えば11月の第3木曜日。参加者27名をお迎えし、今年も開催されました。 毎年毎年のことなれど、今年度の出来は、それ以上に素晴らしい、と第一声が寄せられました。
最初に清水侑様(S32・工)より、同窓の集まりの「三木会」と「ワインパーティ」のなれ初めについてお話頂きました。「今を去る20年程前、大阪凌霜クラブで『三木会』と称し、第3木曜日に同窓会を開催していた。11月はよくよく考えてみると、『ボジョレー・ヌーボー』の解禁日。ならばと言って、大阪凌霜クラブにて、『ワインパーティ』を企画してと言う話になりました。」とのお話を披露頂きました。
例年のようにサントリーのソムリエ紅山太陽氏に来て頂き、ビデオによるフランスの収穫状況もまじえながらお話頂きました。 ワインにあった料理もおいしく、時間が経つほど酔いもまわり、最後に4本のボジョレーをジャンケン勝ち抜きゲームをして盛り上がり、4名の方が持ち帰りました。
又、終了時刻の21時を回っても「美味しい、美味しい」と飲む仲間もおり、終わったのは21時20分頃でした。
(瀬野鋼太郎・S46年経営卒)
日時:平成26年11月18日(火) 午後7時より
場所:当クラブメインホール
講師:藤原 規洋 氏 (毎日新聞 編集局委員)
演題:「大阪の活性化と総合型リゾート」
統合型リゾート(IR)とは、MICE(Meeting、Insentive、Convention、Exhibition=宿泊を伴う国際会議や研修などのためのホテルや会議場)を中心として、ショッピング街や美術館・博物館、劇場、遊戯施設、そしてカジノなどを備えたもの。従って、IR法案を「カジノ法案」というのは適切ではない。
なぜカジノなのか。私が取材したシンガポールの「マリーナ・ベイ・サンズ」ではカジノは面積で全体の3%にすぎないが、収益は80%にのぼる。この収益で、採算性の悪い文化施設や劇場などの経費をまかなう。だから、カジノがなければIRは成り立たない構造になっている。
IRのメリットは、巨額の初期投資は事業者が負担してくれ、受け入れる側の行政はインフラ整備だけで済むこと。マリーナ・ベイ・サンズは約56億㌦かけた。日本では100億㌦かかるとみている。これだけの投資が大阪につぎ込まれれば、経済活性化の大きなインパクトになることは間違いない。さらに、2~3万人の雇用を生むうえ、継続的に税収が期待できる。
マイナス面でよく言われるのはギャンブル依存症の増加。しかし、1万2000件もあるパチンコ店を放置しておいて、ギャンブル依存症が増えるも何もない。シンガポールでは、21歳以下の入場制限や入場料徴収、自己申告も含めた入場規制などの対策をとっており、依存症が大きく増えたという明確なデータはない。日本でもカジノを解禁するなら、最低限、シンガポールと同様の対策をとる必要があるだろう。 しかし、一番の壁となるのは、日本の風土に合わないという心理的反対論だろう。 カジノだけで外国客を呼ぼうというのは間違い。周辺の観光地を訪れてもらい、リピーターになってもらわなければIRの効果は小さい。IR推進を唱えるなら経済効果を強調するだけでなく、京都や奈良、神戸などとのコラボ、面的活用を考えなければならない。
日時: 平成26年10月21日(火)19:00より
場所:大阪凌霜クラブメインホール
「DO YOU KNOW?(能)」山本章弘氏(観世流能楽師)
講師の山本章弘氏は、大阪市北区谷町で能楽堂を運営される能楽師です。 「DO YOU KNOW?(能)」と題して、面白く、おかしく、眠たくならずに、語って頂いた。
講師は小学生、中学生、高校生の学校に出向く、社会人の職場に出向いていろいろ機会をつくり能の普及に努力しています。その為かいろいろ質問を受け、お答えする様子をお話されました。(小学生はおはぐろを見て「虫歯?」と笑う。高校生になると「儲かりますか?」「収入は安定していますか?」「もてますか?」という言葉がかかるとのこと。)
能楽師への道は、まず3歳頃から、お父さんから稽古をつけてもらったとのことだ。抑揚を付けて謡うことから始まった。3歳児が室町時代のことばを理解する訳がなく、又、手振り身振りの意味も判らず、その通り覚えたとのこと。
能は動きが少なく、シテ(主役)が登場するまで、15分から20分ぐらいかかることがざらにあり、お客さんからみれば、言葉が判らない、意味が判らない、眠たいとなる。
今の時代、社会人になりたての新人は、「ゴルフ」が会社の上司との接点となるが、昔は「謡い」を習うことだった。付き合いの始まりは「謡い」から「ゴルフ」に代わった。
現在、能楽師は、全国で1250名ばかり。15年後は半分になっているだろう。だが、「能」を知るには、まずは習うことが近道。山本氏の指導で、声を出し、結婚式の披露宴で有名な「高砂」の一節を謡った。
曽祖父の時代は、京都の三条で両替商をやっていたが倒産。世が世なら今頃は銀行の頭取。社用車に乗り、お酌をされる立場だったかも知れない。だが、今能楽師として全国、全世界に普及することに励んでいるとのこと。
講師からは、使命感を持って能を広める伝道師、産業人、文化人としての意気込みが感じられました。そして、笑いの絶えない講演でありました。眠たい能を面白く語られ、勉強になりました。
その他、能の歴史と入門書的なお話された。
① 能は、田楽、猿楽から発達した。奈良時代、平安時代にさかのぼる。田楽は田植えの踊りや歌から発達し、猿楽は演者が舞台で謡い、踊る民間芸能に遡る。
② 世阿弥は忍者の家系だったと言われている。諸国をまわる旅芸人は、武家の家にも招かれた。屋敷の間取りや配置、家来の人数等、遊芸をしながら情報収集出来た。忍者と言えば、映画、テレビの時代劇のように闇夜に紛れ、土塀を越え、木から縄をつたいスルスルおりるイメージがある。これはあくまで映画のシーンであり、作り物に過ぎない。旅芸人のいいところは、諸国を漫遊し、アポイントなしに遊興の席に招かれ、偉い人からも情報がとれることだ。
③ 能のワキは大体お坊さんとなる。お坊さんが案内役になって、シテ(主役)を導く。「あなたは誰?」はワキ役が問いかける。
④ 秀吉の時代に移ると、秀吉が能の装束、衣裳をはでにした。徳川の時代に儀式として公の場に登場する機会が増えた。
⑤ 般若は女性の怒りを表す。角がはえているのは女性。女性は角がはえるからこわい。お面も年増のお面と若い女の子のお面がある。能面はかぶるとは言わず、かけると言う。
⑥ 表情も、片手を額にかざすと悲しさを表し、両手をかざすと泣いている姿となる。
⑦ 曽祖父の時代は、京都の三条で両替商をやっていたが、倒産した。世が世なら今頃は皆さまと同じ目線の立場になったかも知れない。今頃会社の社長で、社用車に乗り、祇園に行って芸子さんの酌を受けていたかも知れない。だが、今能楽師として全国、全世界に普及することに励んでいるとのこと。
日時 : |
2014年9月16日午後7時より |
場所 : | 大阪凌霜クラブメインホール |
講師 : |
吉岡 美恵子氏(フルート演奏家) 平山 朋子 氏(ピアノ伴奏) |
燕題 : |
「フルート400年の歴史」 ~古楽器からモダンフルートまで~ |
今回は、吉岡美恵子氏(S54教育学部音楽科卒)によるフルートのミニコンサート~一時間で巡るフルート400年の旅~を行いました。
吉岡氏は神戸大学教育学部、同大学院を卒業後、プロのフルート奏者として、また相愛大学講師等として活躍されている音楽家であります。当日は平山朋子氏の伴奏で、古楽器のトラヴェルソーに始まり、トラヴェルソー・クラシック、木管フルート、ピッコロ、ソプラノフルート、アルトフルート、ルイロット銀製1888年、へインズ14K等数種類の楽器を持参され、実際に演奏されました。
併せて、楽器の解説、作曲家の解説等コメントを入れながら、分かりやすく、そして楽しいコンサートとなりました。
通常の参加者数に倍する43名の出席者で満員の会場の中、最後は有名なドップラー作曲ハンガリア田園幻想曲の情熱的な演奏で、フィナーレを迎え、万雷の拍手の内に終了となりました。
多忙の中、趣旨に賛同頂き出演頂いた吉岡・平山両氏に心より感謝申し上げます。
日時 : |
2014年7月31日(木)午後6時~午後8時20分 |
場所 : | 大阪凌霜クラブメインホール |
本年も、恒例のビアパーティーが、一般社団法人大阪凌霜クラブ、神戸大学学友会大阪クラブ、一般社団法人凌霜会大阪支部の共同で盛大に開催されました。
冒頭、岡田運営委員長の開会の辞があり、引き続いて当クラブ代表の江崎理事長が挨拶を行いました。その後、来賓の紹介に続いて、井上典之副学長及び田中初一学友会会長からご挨拶をいただき、高﨑正弘凌霜会理事長のご発声により全員で乾杯を致しました。
しばらくの歓談の後、海外留学生の自己紹介に移りました。今回も大阪凌霜クラブ若手の会の司会で、各留学生には五つのテーマの中から選んでもらったテーマ等について各自2分間程度話をして頂きました。若手の会の軽快な進行と相まって、いろいろな国からの留学生の個性豊かな話に会場は大いに盛り上がりました。留学生の自己紹介に引き続いて、若手の会の司会でビンゴゲームが行われました。若手の会の面々が、非常にはつらつと活気ある進行をして頂き、留学生も非常に馴染んで、参加者全員が楽しむことができました。今回も昨年どおり、タラバガニ、布団クリーナー、野球場観戦指定席等多くの魅力ある景品を用意することが出来ました。留学生にも満足して頂いたようです。
最後は、応援団のエールにあわせて商神と神戸大学学歌を全員で斉唱し、小野博郷次期運営委員長の閉会の辞でお開きとなりました。
今年のビアパーティーも多くの方々のご寄付や多く会社の協賛を頂き、また今回のパーティーに参加していただく留学生の選考には神戸大学留学生センター等のご協力を頂きました。さらには企画立案から進行にわたり、大阪凌霜クラブ若手の会の皆様の絶大なサポートがありましたことに、それぞれ感謝して報告といたします。
(昭和57年法学部卒緒方宏充)
日時 : |
2014年7月15日(火)19時より |
場所 : | 大阪凌霜クラブメインホール |
講師 : | 垂水 薫氏(武庫の台ゴルフコース総支配人)、竹内美雪氏 |
燕題 : | 「ゴルフ場支配人のつぶやき」 |
垂水 薫氏は、神戸大学法学部を卒業後、関西電力に入社されました。その後、日本原燃、大阪フィルハーモニー協会に出向の後、現在は、関西電力の子会社である関電アメニックスが経営する武庫の台ゴルフコースの総支配人をされています。
武庫の台ゴルフコースは、今年5月に原田伸郎のめざせパーゴルフの2回目の舞台になりました。名匠上田治氏の設計による関西屈指の伝統あるパブリックコースで、神戸大学出身者も多数利用しています。今回は、ゴルフ場についていろいろお話して頂きました。コースメンテナンスの気配り、スタッフの教育、食事の充実等細部に渡って気遣いが必要であること。天候に左右され、今年は大雪で1週間程クローズになったこと。真夏・真冬のオフシーズンを如何にのりきるか。1人参加のゴルファーが増える傾向にあるので、その対応。あるいはお土産の充実等。ゴルフ場の経営の大変さをいろいろ語って頂きました。
後半は、竹内美雪さんです。竹内美雪さんは、現在18歳で、武庫の台ゴルフコースの練習生です。アマチュアで優秀な成績を残され、現在女子プロを目指されており、プロテストも予選通過中です。原田伸郎のめざせパーゴルフⅢ等テレビのゴルフ番組にも出演されています。今回は、Q&Aという形式で、出席者のゴルフに関する疑問に答えて頂きました。精神的な質問、技術的な質問等いろいろな質問に対して、身振り手振りと熱心にご回答頂き、竹内美雪さんの親しみやすい温和な性格から、質問が尽きず、和気あいあいとした定例会となりました。将来の有望な選手であり、女子プロテストを合格され、ト-ナメント優勝の際にはまた来て頂きたいと思います。
(昭和57年法学部卒 緒方宏充)
日時 : |
2014年6月17日(火)19時より |
場所 : | 大阪凌霜クラブセミナールーム |
講師 : | 高槻 泰郎 氏 (神戸大学経済経営研究所 准教授) |
燕題 : | 「江戸時代の大坂に生まれた巨大金融市場ー堂島米会所の再検討―」 |
室町時代は「貨幣」の時代。明の衰退と伴に「貨幣」が途絶えた。
織豊時代、次第に「米」が決裁手段となった。土木技術の発展・向上、沖積平野の開拓で米の生産量が増大した。秀吉は大阪への米の回送を奨励した。
江戸時代、17世紀前半、大坂城のあたりに蔵屋敷が集中したが、主に兵糧米の備蓄が主であったが、時代が進むに従って、余剰米を売るようになった。
鎖国で南蛮貿易が途絶え、貿易は長崎の出島だけに限られ、貿易に励んでいた大名も貿易への満を絶たれると、大名も藩の財政力を高めるためにも、大坂に米を集め、キャッシュを得る手段として定着していった。17世紀後半には、堂島米会所が全国の中心になった。
当時の営業日数は年間355日のうち250日も取引があった。(仕事の日数としては現代とほぼ同じ営業日数。盆・暮れ・毎月16日が休日。)
各藩の財政力を高めるためにも、大名は品質にこだわり、市場で少しでも高く売れるように工夫した。
大名は年貢米を米仲買人に売却したが、落札した米仲買人には、米ではなく米切手という、1枚あたり10石の蔵米との兌換を約束した証券を発行した。米仲買人は、ここで手に入れた米切手を、実需家に転売するか、堂島米会所という米切手取引市場に転売した。
一般的に、米切手は蔵米在庫量以上に発行される傾向にあり、かつ、大名は、蔵米の在庫量を外部に公開していなかった。したがって、大名が米切手を濫発する危険性があったが、江戸幕府は、米切手と米との兌換が確実になされるよう、法律で大名の行動を縛り、市場の秩序を維持する役割を果たしていた。
日時 : |
2014年5月20日(火)19時より |
場所 : | 大阪凌霜クラブセミナールーム |
講師 : | 中河 昭氏 |
燕題 : | 「証券界のいま・むかし」 |
平成26年5月の定例会は、中河 昭氏に、「証券界のいま・むかし」の演題で、ご講演を頂きました。講師は、神戸大学法学部を卒業後、日本証券業協会に入社され、以降35年間、証券界でご活躍されています。現在は、証券・金融商品あっせん相談センター(略称フィンマック)大阪事務所長をされています。フィンマックは、金融商品取引に関するトラブルについて、公正中立的な立場で解決するところです。また、平成15年には、同窓会誌「凌霜357号」に「歴史は繰返す~株の世界~」を寄稿されています。いま証券界を振り返り、「証券界のいま・むかし」と題して、「デリバティブの大阪」、「インサイダー取引」、「NISA」、「証券トラブル」、「未公開株詐欺の現状」等についてお話しして頂きました。
淀屋米市、徳川吉宗の堂島米会所、期日に売りと買いを帳面上で清算する帳合米取引等江戸時代に大坂の地で先物取引が発祥し、これが、世界の先物取引の参考となり、活況であったこと。それにもかかわらず、戦後、東京一極集中するなかで、大阪証券取引所の取り組みとして、日本初の株式先物取引株先50やさらに日経225先物が開始されたこと等の説明をされました。インサイダー取引に関しては、過去の事例や現在の規制・予防等お話されました。NISAについては、デメリットもあり、それを理解する必要があることを説明頂きました。具体的事例による証券トラブル、証券トラブルに対応する証券・金融商品あっせん相談センター(略称フィンマック)、日本証券業協会の未公開株通報専用コールセンターをご説明頂き、最後には証券トラブルに遭わないための心構えとして3つの余裕(資金・心・時間)と3つの自己(自己分析・自己判断・自己責任)、さらに相場格言について、お教え頂きました。
講師には、周到に準備して頂き、またわかりやすい説明をして頂いたので、出席者一同、非常に参考になったようです。 (昭和57年法学部卒 緒方 宏充)
日時 : |
2014年4月15日(火)19時より |
場所 : | 大阪凌霜クラブメインホール |
講師 : |
大阪住宅株式会社専務取締役 青山 修司 氏 (平成12年3月神戸大学法学部卒業) |
燕題 : | 「青山ビルと大阪の歴史」 |
平成26年4月の定例会は、青山修司氏に、「青山ビルと大阪の歴史」の演題で、ご講演を頂きました。「青山ビル」は、大阪市中央区の北浜にあり、大正15年に建築された鉄筋コンクリート造の建物で、文化庁により、登録有形文化財に指定されています。講師は、この青山ビルの所有者です。同ビルの先代オーナーの青山喜一氏は、講師のご祖父様であり、神戸大学の前身である神戸高等商業学校卒業です。講師は、ご祖父の遺志を継ぎ、青山ビルの保存に尽力を尽くされています。青山ビルが歩んできた物語を大阪の歴史も含めて語って頂きました。
江戸時代の大坂の街並み、通りと筋の解説、青山ビルと同じく登録有形文化財に指定され、現存する世界最古の鉄骨鉄筋コンクリート造建築物と言われている大阪城天守閣のお話。明治、大正、特に大大阪時代といわれ、繁栄した大阪。そのような時に野田源次郎が建築したこと。水洗トイレ設置、ボイラー室があり、暖房完備、大理石の浴室、ビリヤード室、ダンスホ-ル、電話交換室、荷物を運ぶリフト等々大正15年当時最先端のビルで、当時の船場商人の繁栄の象徴でもあったこと。戦争で大阪が焼け野原になったときも被害がなく、戦後、GHQによる建物接収するという話が持ち上がったが、粘り強い交渉の結果、将校の施設とすることを条件に接収を免れたこと。その後も数々の苦難を乗り越え、阪神淡路大震災の時も建物のみならず、備品類にも被害がなく、今日に至っていること。
さらには、文化財の保存の難しさを述べられ、行政の援助が不十分であること、所有者の保存の意欲の低下、時に相続が発生したときの保存の難しさを述べられました。オープンハウスロンドンも説明頂きました。世界中の25の都市で、開催される歴史的建造物の公開です。2015年には、日本でも同様にイベントが開催される予定で、これに合わせて、今後の船場が往年の輝きを取り戻すような試みをして行きたいと述べられました。
プロジェクターで写真もいろいろお見せ頂き、あっと言う間の1時間でした。
(昭和57年法学部卒 緒方 宏充)